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大渓観光センター
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大渓観光センターは大渓官兵集会所だった場所で、2009年4月13日より正式にオープンしました。ビジターのイフォメーションサービス以外に、「蒋経国様百歳誕生記念特別展示」も行われています。

展示には蒋経国様の生涯各段階の素晴らしさを見られる以外に、蒋経国様に関する書類や絵とも展示されています。観光センターの外に広々の駐車場があって、自転車休憩所や露天コーヒーショップも設置しております。観光センターは両蒋文化園區の観光及び北横を旅行する時に体力や心を癒してくれる最高の場所となります。

大渓観光センター

大渓で蘇えった記憶
1936年12月12日、西北部の共産党軍討伐を担っていた張学良と楊虎城が共謀して臨潼華清池を突如襲撃し、全国の軍事的指導者であった蒋介石を拘禁して、内戦の停止や連共抗日などの8項目を要求しました。これが国内外を震撼させた「西安事変」です。この事件は国共の対立関係を変転させたのみならず、父子のようだった蒋介石と張学良の関係も変えました。そして、その後半世紀の長きに及ぶ張学良の流転と幽閉生活を決定づけたのです。

それから21年後の1958年11月23日、蒋経国がセッティングし、経国同席の下、蒋介石と張学良は大渓の別荘で秘密裏に面会しました。「総統、あなたも老けましたね。」、「漢卿、君も禿げたね。」というやり取りから会談が始まりました。

渓口の歳月

蒋経国は浙江省奉化の渓口鎮で生まれ育ちました。祖母の王采玉と母親の毛福梅の手で育てられ、12歳の時に故郷を離れて上海の万竹小学校で学びました。その後は遠くソビエト連邦に留学し、ソ連で12年も過ごしました。28歳の時に蒋方良夫人と息子の孝文を連れて帰国。蒋経国は蒋介石の命に従い家族とともに渓口で暮らし、古典と孫文の教えを学び、悠々自適の8ヶ月を過ごしました。渓口ではその面影の数々を見ることができます。私塾での学習や親族との往来、蒋方良と挙げた中国式の婚礼、母の葬儀、帰郷して祖先を祀ったことなどの足跡が残されています。それでは、写真や文物などの展示品を見ながら、蒋経国が渓口で過ごした日々を振り返ってみましょう。

異国のラブストーリー

1925年10月、国民党が連ソ容共政策を実行する中、革命への情熱を燃やす蒋経国は呉稚暉の励ましとソ連の政治顧問ミハイル・ボロティンの推薦を得て、モスクワの孫中山大学に進学しました。それから間もなくして国共合作は決裂して蒋経国も巻き添えになり、ソ連当局の人質同然の立場となって苦労を重ねました。この間、ウラル地方で17歳の女工蒋方良と出会い異国で愛を育み、二人は1935年3月に結婚しました。1937年4月、蒋経国と家族は帰国し、1949年に台湾に移住しました。蒋方良は台湾の暮らしに溶け込み、夫を助け子らを養育し、二人は仲むつまじく暮らしましたこちらのコーナーでは、蒋経国がソ連に残した足跡と娘時代の美しい方良や二人の婚礼写真などがご覧になれます。夫唱婦随の様子を写した写真の数々が、北の国で育まれた愛を物語ってくれるでしょう。

故郷の建設

西安事変が決着してから4ヵ月が過ぎ、帰国した蒋経国は父蒋介石の命に従い、故郷渓口に戻って勉学に励みました。8カ月後、江西で公職に就き、政治家としての生涯をスタートさせました。戦後は中ソの外交関係や金融・経済関連の仕事などに従事し、国家再建のために尽力しました
1949年、蒋経国は政府の台湾移転に従い、各種の要職に就きました。台湾の安全と発展のため、蒋経国は「危険があれば、そこに行く。」と述べ、加えて「今日やらなければ、明日後悔する。」という信念の下、中横公路や十大建設、民主改革、台中交流などを次々に実現して優れた功績を残し、台湾発展の新時代を切り開きましたこちらには、蒋介石の公務をサポートし、中国と台湾で国家建設に尽力した蒋経国に関する史料や文物が展示されています。国家の再建に貢献した蒋経国の心情がおわかりいただけると思います。

関連情報
関連情報: 桃園県大渓鎮復興路一段1268号
開放時間:上午8:00至下午17:00;慈湖管理站 03-3884437
GPS: N24°50’54.8” E121°17’06.1”
交  通: 高速道路国道三号線大渓交流道を下りて省道台3号線から省道台4号線に入って直進し、埔尾で表示に従い左折、省道台7号線を直進。
時  間: 観光所要時間約1時間

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最新の更新日: 2012-05-21
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